世の中は「誤謬」で満ちている

「そんなつもりで言ったんじゃないのに…」という誤解は立場の上下に関わらず経験があると思います。
これは「誤謬」と呼ばれるものであり、間違いの根源により様々なパターンがあります。誤謬の意味は一般的なイメージとかけ離れるものではありませんが、念のため語句の意味を解説します。

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誤謬とは

論証の過程に論理的または形式的な明らかな瑕疵があり、その論証が全体として妥当でないこと。論証において、誤謬には「形式的」なものと「非形式的」なものがある。(Wikipediaより抜粋)

 

代表的な誤謬

誤謬には様々なパターンがあります。

形式的誤謬の一例

・後件肯定…「もしPならば Q である。Q である、従って P である」という形式の推論

・前件否定…「もしPならば Q である。Pでない、従って Q でない」という形式の推論

非形式的誤謬の一例

・早まった一般化…十分な論拠がない状態で演繹的な一般化を行うこと

・相関関係と因果関係の混同…非形式的誤謬。相関関係があるものを短絡的に因果関係があるものとして扱うこと

などなど、形式・非形式を問わずあらゆるパターンが研究されており、実際に起きています。

「もしPならば Q である。Q である、従って P である」という後件肯定は、例えば「もし魚ならヒレがある。この生物にはヒレがある。従って魚である」という推論になります。これはクジラなどの存在によって誤謬となります。

この例では明らかにおかしさを感じると思いますが、仕事の上ではどうでしょうか。例えば、よく聞くことがある

・仕事は自ら創るべきで、与えられるべきでない

という言葉は、

・与えられた仕事は仕事ではない

といった推論も可能です。が、常識的に考えて与えられた仕事だって立派な仕事です。かといって、仕事に対する意識としてこの言葉が別段おかしいとも思えません。

もしこの言葉が一人歩きし「誤謬」が生まれてしまうと、組織としては困ったことになってしまうでしょう。自ら創った仕事以外は真面目にやらない人ばかりの組織は問題ですし、逆にマネジメントする立場の人が仕事や指示を(正確に)与えない言い訳に使用しても問題です。

より正確に意味を伝えるにはもっと言葉を足さなければなりませんが、長々と説明してしまうと、重要な要素である格言的パワーが失われてしまうことも事実です。どのような言葉であれ、発信元は発信先に対し、解釈の誤謬が起きていないか定期的にチェックする必要があると思われます。

一部の情報で判断していませんか?

多くの誤謬の原因として、一部の情報に基づいて判断することが挙げられています。

・早まった一般化
「1, 2, 3, 4, 5, 6はいずれも120の約数だ。よってすべての整数は120の約数である」

・因果関係の逆転
「車椅子は危険である。なぜなら、車椅子に乗っている人は事故に遭ったことがあるから」

・論点先取
「彼は正直者なんだから、ウソを言うはずがない」

これらの例は限られた情報から正確性に乏しい結論を導いています。
卑近な例ではありますが、私はこのパターンの誤謬が現実に起こり得る可能性を否定することができません。

しかし、ビジネスの現場では、限られた情報、限られた時間で結論を求められることが往々にしてあります。

このような時にお勧めするのが「クリティカルシンキング」と呼ばれる思考方法です。

クリティカルシンキングとは、丸ごと一冊解説している書籍もあるように奥深いものであり、また学者によって定義が異なる部分もあるものですが、代表的な思考の流れは下記のようになります。

・問いをたてる
・問題を定義する
・根拠を検討する
・バイアスや前提を分析する
・感情的な推論(「私がそう感じるから真実である」)を避ける
・過度の単純化はしない
・他の解釈を考慮する
・不確実さに堪える

(Wikipediaより抜粋)

結論を出す前に、一度で良いのでこの流れに沿ってなるべく客観的にアイデアの批判(否定という意味ではなく)を試みることをお勧めします。

恣意的な解釈にご注意

先ほどのクリティカルシンキングの思考方法の中に、「バイアス」という言葉が出てきましたが、これは誤謬の元となる大きな原因の一つです。

バイアス(認知バイアス)も誤謬同様に多くのパターンがあります。

・確証バイアス
個人の先入観に基づいて他者を観察し、自分に都合のいい情報だけを集めて、それにより自己の先入観を補強するという傾向

・一貫性バイアス
ある人物の過去の態度や行動が現在の態度により近いものだったと記憶させる

マーケティングで使われる心理効果の一つ、アンカリングも認知バイアスに分類されます。

認知バイアスが最も極端になると、ステレオタイプになります。いわゆるレッテル貼りという状態になり、何かを伝える、もしくは伝えられる際に大きな誤謬を産む可能性が非常に高くなります。また、ビジネスの場において、機嫌によって判断が変わるような感情に起因する認知バイアスは最悪と言っても過言ではないでしょう。

しかしながら、認知バイアスそのものが悪という訳ではありません。明確な根拠がなくとも自分自身を信じる自己中心性バイアスはモチベーションにつながりますし、錯誤相関(ジンクス)は決心を強めるなど精神を補強することもあるでしょう。女性の直感も恐るべきものです。また、現実には判断に必要なあらゆるデータを揃えることは不可能に等しく、限られた情報でより素早く正確な判断を下すために思考のショートカットとしてバイアスは有効に機能することもあります。

まとめ

大人になればなるほど感情をストレートにぶつけ合うことは少なくなり、互いに批判される機会を失っていきます。誤謬が誤謬を生み、気付いた時には一人ぼっち、なんてこともあるかもしれません。
誤謬やバイアスが存在しないという世界はありえないと思いますが、それを認識しておくということは非常に重要です。

・伝える側、伝えられる側ともに誤謬が起こりうることを認識し、定期的に本来の意味を確認することがコミュニケーションの基本

・あらゆる情報を集めることは困難だが、バイアスの除去に努めることは大事

・批判は否定ではない。最善を導くための議論を積極的に行うことが重要

・バイアス=悪ではない。が、石橋は一回くらい叩いてから渡りましょう

 

数多の心理学的実験の結果、人間が認知バイアスを避けることはほぼ不可能という結果が出ています。必ずしも合理的な意思決定ができないのが人間の特徴のようです。しかしながら、可能な限り認知バイアスの除去と誤謬を無くすように努力することは、人と人のコミュニケーションにおいてだけでなく、あらゆる意味で非常に重要なことだと思います。

まずは”それとなく”自分の言葉が自分の意図通りに伝わっているか確認してみてはいかがでしょうか。


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